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堺市中区北村のだんじりを見せていただきました!
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    お久しぶりの更新になってしまいました^^;
    さて・・・今回は堺市陶器地区の北村のだんじり見学記でございます^^

     堺市中区にある陶器地区のだんじりは泉州地域において上だんじりで統一されている地域の一つです。
    陶器地区の歴史は古くは「日本書記」にも「茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえのむら)」と書かれているように、5世紀頃、朝鮮からの渡来人に伝えられた「陶器(すえき)」・「須恵器」の発祥地だと云われております。
    泉北ニュータウンから陶器山にかけての一帯は千基以上の窯・墳墓(千塚)が見つかっており、おびただしい数の陶器・土器が出土しています。これが現在の陶器地区の名の由来であるとされています。

     陶器地区の氏神でもある陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は崇神8年(紀元前90年頃)、崇神天皇により創建され、延喜式(平安時代中期に編纂された格式)にも記載される式内神社2861社の一つだそうです。その当時に疫病が蔓延した際、崇神天皇の夢枕に大物主神が現れて「太田田根子をもって私を祭らせたならば神のたたりは起こらず国も平穏になるであろう」とお告げになったそうです。そこで天皇は茅淳県陶邑に住む太田田根子を見つけ出し、大和国大三輪大神を奉斎する大神主になるように命じました。その時、自らの出身地である茅淳県陶邑に祖先の神霊を祀る為に建立されたのが陶荒田神社の起源とされています。社名の「陶荒田」の由来は、祭神である「高魂命」の直系の子孫・荒田直(あれたのあたひ)が祖神の奉斎に務めたことから、地名「陶」と人名「荒田」をとって「陶荒田」と名づけられました。


    現在のだんじりは3代目となり、平成20年9月21日に新調入魂式が行われました。大工は天野三郎師・彫刻は木下彫刻工芸によって製作されました。新調するのであれば「設備を整えてからだんじりを迎えたい」との声も多く、小屋及び自治会館の新設が先に執り行われ、その後にだんじり新調が正式決定したそうです。彫物図柄は全て先代だんじりからの踏襲となる「太閤記」で統一されています。獅噛は河合申仁師によって彫られています。正面車板には「太田田根子命」・柱巻きと出人形には「碧蹄館の戦い」が表現されています。板勾欄には「幸州山城(ヘンジュサンソン)の戦い」と「平壌城(ピョンカンソン)の戦い」が施されており、土呂幕には賤ヶ岳の合戦で七本槍と呼ばれた、「福島市松」「片桐且元」「糟屋武則」の勇姿が表情豊かに彫られています。見送り三枚板の彫物は「加藤清正」「後藤又兵衛の虎退治」「金 汝吻」となっており、一つ一つが大きいのが特徴でもあります。柱巻きや出人形、土呂幕・三枚板の人物の目は全て、「硝子目」が使われていました。青年團の方から、見送り三枚板(左面)「後藤又兵衛の虎退治」に関するお話を聞くことができました。新調の彫物図柄を決める時のお話ですが、「虎退治」の彫物を考えると一般的に「加藤清正」が浮かぶと思います。この「後藤又兵衛」が虎退治を行ったのか?という話になり、村の方が資料を探しに熊本へ行かれた際、朝鮮出兵時に後藤又兵衛が虎退治を行っている資料があったそうです。資料では後藤又兵衛が槍で虎を退治している場面なのですが、北村だんじりの三枚板には名槍「日本号」を持った後藤又兵衛が虎退治を行っている場面が表現されています。日本号を持っているのは村の要望です。とのお話も聞くことができました。

    今回厄除け餅つき大会の際にだんじりを見せていただきました!
    お忙しい中だんじりを見学させていただいた北村祭礼団体の方々本当にありがとうございました!




     
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