無料ブログ作成サービス JUGEM
だんじりが参拝する寺へ。
0
    今日の大阪は少しだけあったかかった1日でしたね!
    でも気温差で体調を崩してしまうことがありますので皆さんご注意してくださいね!

    さて…
    今日は、岸和田市にありますだんじりが参拝するお寺の話をちょっとしてみたいと思います。



    岸和田市八木地区のだんじり祭で行われる『行基参り』
    久米田寺にお祀りされています『行基』にお参りするのが祭2日目の朝に行われます。



    久米田寺は、行基が開削指導したため池である久米田池を維持管理するため天平10年(738年)行基によって創建されたと伝えられています。



    久米田寺の目の前には、久米田池という大阪府最大の水面積のため池があり2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定され、2015年(平成27年)には国際かんがい排水委員会によるかんがい施設遺産にも登録されました。 その昔、この地域は水に乏しかったため、聖武天皇が行基に命じ、神亀2年(725年)から天平10年(738年)にわたる14年という歳月をかけてこの池を竣工し聖武天皇が久米田寺に対して維持管理を命じ、院号を「隆池院」にしたと言われています。 また、この池を指して、「籠田(込田)」(田に籠めるもの = 水)と呼んだことから、のちに「久米田」に転じたとする説もあるそうです。
    (Wikipediaより)



    行基が作った久米田池で、この地域の水不足は解消され、その感謝のために毎年だんじりが寺入りする【行基参り】が八木地区11台と田治米町・今木町の計13台のだんじりが久米田寺に参拝します。
    一番久米田寺に近い池尻町から大町・額原町・額町・小松里町・西大路町・箕土路町・下池田町・荒木町・吉井町・中井町・田治米町・今木町の13台のだんじりが現在行基参りに参加しています。


    以前いただいた写真です。
    本堂に向かってだんじりが並べられています。

    これは開山堂で、ここに行基が祀られています。
    行基参りの際は、全町の責任者が開山堂にて行基像に参拝します。



    だんじりがお寺に参拝するのは大変珍しいことです。
    この伝統がいつまでも残ることを祈り…。

    ではまた( ̄^ ̄)ゞ
    | 祭遊記 | 岸和田市10月祭礼情報 | comments(0) | - | - |
    久米田池世界灌漑施設遺産お祝い曳行。
    0
      今日17日。お天気が心配されていましたがなんとか晴れまして、久米田池世界灌漑施設遺産お祝い曳行が行われました。
      先週発生しました平成28年熊本地震の義援金の受付もされていたとのことです。

      今回祭遊記では今木町さんに密着させていただき、記念曳行を撮影させていただきました。
      写真にあるように屋根からの撮影などもさせていただきました。
      ありがとうございました。
      また徐々にアップしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

      報道にもあるように、この度不慮の事故が発生しました。
      謹んでご冥福をお祈りすると共に、これからのだんじり祭の安全面についてなども
      今後祭遊記でも取り上げていきたいと思います。



      | 祭遊記 | 岸和田市10月祭礼情報 | comments(0) | - | - |
      だんじり紹介(包近町(かねちかちょう))
      0
        本日、岸和田市山直(やまだい)南地区にて曳行されている『包近(かねちか)町』の地車を見学させていただきましたので、ご紹介させていただきます!

        この包近町は大阪府内で最大の『桃』の産地であり、今年度の5月にブランド桃である『まさひめ』が『世界一甘い桃』としてギネスブックに登録されました!
        この桃の糖度は普通の桃の倍の甘さで『22.2度』を記録しました。

        包近町の町内には、広大な桃畑が!
        (3月下旬から4月上旬にかけて、薄桃色の花を咲かせます。)


        桃畑の小道を抜けると、『楠本神社』が鎮座されております。
        この神社の右隣には『包近八幡宮』が存在し、楠木正成公が戦勝祈願にこの地を訪れた際に、武具・菊水旗を寄付し宝庫に納めた。と伝えられております!

        桃畑の小道を抜けると『楠本神社』が!


        『楠本神社』の石柱です。


        拝殿の奥には楠本神社の本殿と右隣には『包近八幡宮』が鎮座しています。


        この楠本神社ですが、青年團の方から来年には『大改修』が予定されるというお話を聞かせていただきました!

        包近町の地車は平成14年9月29日に新調入魂式が行われました。
        大工は植山工務店(植山良雄)・彫物は木彫 岸田・木彫 近藤・木彫 筒井の手によって製作され、彫物は『楠公記』の統一彫りとなっております!

        包近町だんじり


        大屋根正面枡合には、先ほど紹介したように『楠木正成 包近八幡宮戦勝祈願」の題材が彫られております。

        大屋根正面枡合『楠木正成 包近八幡宮戦勝祈願』


        また左右後方にある木鼻は、包近町の特産品である『桃』と『桃の花』を持っているのが特徴の一つでもあります!

        左後木鼻の持ち物『桃の花』


        右後木鼻の持ち物『桃』


        正面土呂幕は『楠多聞丸出陣』が彫られており、岸田恭司師の渾身の作と言っても過言ではありません!

        正面土呂幕『楠多聞丸出陣』


        見送りは『楠公 京合戦』となっており、繊細かつ豪華な彫物が施され、見送り奥には『東寺』と五山の送り火でも知られている『大文字』が彫られているんです!

        見送り『楠公 京合戦』


        奥には『東寺』と五山送り火『大文字』が!


        また水板には、包近町内に生息している黒い蜻蛉『羽黒蜻蛉』(別名・かねちかとんぼ)が彫られています。

        水板『かねちかとんぼ』


        随所に『桃』の彫物が施されているので探してみるのもいいかもしれませんね。

        随所にある『桃』の彫物。


        今年最後の小屋掃除ならびに地車掃除の際にも関わらず、見学させていただきました包近町の町会の皆様には凄く感謝しております。
        本当にありがとうございました。

        http://saiyu-ki.net/







        | 祭遊記 | 岸和田市10月祭礼情報 | comments(0) | - | - |
        だんじり紹介(流木町)
        0
          昨日は『木下彫刻工芸』の職人さんである『中正司 健師』と同師が所属する流木町青年團の方々の御厚意により、平成25年9月1日に大工は大下工務店・彫物は木下彫刻工芸の手によって約80年振りに新調されました『流木町地車』を見学させていただきました!

          入魂式当日の様子です!
          約80年振りに新調。地車の御披露目です!


          流木町だんじり


          番号持ちには『武内宿禰』
          氏神の『矢代寸(やしろぎ)神社』御祭神で赤ちゃんを抱いており、町民(お年寄り〜赤ちゃん)が祭を楽しめるようにと願いが込められております!


          流木町の地車には、先代地車を継承した彫物も随所に彫られております!

          先代地車(正面土呂幕)『川中島の合戦』


          新調地車では正面大連子に彫られました。


          先代地車(正面縁葛)『唐子遊び』
          (雪だるま遊び)


          新調地車では見送り縁葛に彫られました。

          正面木鼻の持ち物は、奈良時代に同町から出土した『銅鐸(どくたく)』を持っており、岸和田市内の各地域でも古墳が多く存在していた事がわかります!

          大屋根後面枡合には『矢代寸神社の神輿』が彫られており、神輿の上部には流木町の法被にも施されている『鷹』が配されています!
          この『鷹』は流木町地車の随所に多く彫られており、元は大工方の法被にデザインされていました。
          約15〜16年前に町会全ての法被が統一され、現在の法被が使用されております!

          随所に彫られている『鷹』の意匠


          正面土呂幕には初の題材となる『承平天慶じょうへいてんぎょう)の乱 藤原純友』が彫られおります。
          この題材は、平安時代中期の同時期に起きた関東での『平将門の乱』と瀬戸内海での『藤原純友の乱』の総称であります!

          正面土呂幕『承平天慶の乱 藤原純友』


          正面土呂幕『承平天慶の乱 藤原純友』


          そして、見送りは『紀州征伐』という題材となっております!
          本能寺の変後、羽柴秀吉が中村一氏を岸和田城に入れるとともに、流木町内にあった『落合城』を紀州征伐の前線基地としたそうです。
          これに対して、根来衆・雑賀衆は千石堀・積善寺・畠中・沢・中村に城砦を築き徹底抗戦した!
          天正12年(1584年)の3月、羽柴秀吉が小牧・長久手の戦いに新発した隙をついて根来衆・雑賀衆は大攻撃をしかけました。この時の岸和田城をめぐる攻防が『岸和田合戦』であります!

          見送り『紀州征伐』


          今回、流木町青年團の方々にも御協力していただきました。
          お忙しい時間にもかかわらず小屋から地車を出して、見学させていただきまして本当にありがとうございました。

          後日、祭遊記で約10分間の番組を掲載させていただきますので、どうぞお楽しみに!

          http://saiyu-ki.net/



          | 祭遊記 | 岸和田市10月祭礼情報 | comments(0) | - | - |